マケプレや古書店の存在は非常に有り難くあります。
あまりに高価な本も、運が良ければここで良心的な値段で手に入れられる事もしばしば。
特にネット上での顔の見えぬ取引をしているマケプレの古書店や個人出品は、評価に直結する事から、出店側も色々と配慮しているらしく、酷い物に出会った事はありません。
今の所。
カビていようが、シミていようが、それしか無い時には、買わざるを得ず買ったものも過去ありますが、それは神保町などで直に触れて納得して買ったものなので、それはそれ。
但し気を付けないと、この子から周りに影響が出始めるので、保存は色々と気を遣うところでだったり。
ISBNもない時代の戦前戦中の書籍は、戦火をかいくぐって残ってきた物なので、相当ボロいものもあります。
しかし今思えば、ナチスドイツの女子青年団を紹介し、銃後の日本女子啓蒙の為に出版していた当時の本がよくもまあ遺されていたなあと。
GHQに見つかれば間違い無く焚書だったのではと思う部類です。
でもまたこれにもだいぶ助けられました。これがなかったら、書けない物もあったのです。
話が横道に逸れましたが、以下個人的な語りなので蓋の下にたたみ込みます。
そんなこんな、今回もマケプレで出会った古書店からウェルギリウスの「アエネーイス」を引き取りました。
岩波から出ている物よりも、翻訳を見たら京都大学の出版会が出している方が欲しかったのですが、マケプレで割安で買えました。
今は同じウェルギリウスの「牧歌/農耕詩」を読んでいます。
今更なぜウェルギリウスを読みたくなったか、その呼び水はダンテの「神曲」でした。
最近の読書はもっぱらこういった連鎖反応の上に続いています。
原語はとても読めませんが、それでも先生方が精魂込めて翻訳されたものは素晴らしく、読みながらつい引きずり込まれ、時には風の匂いを鼻に感じる事も。
なんというか、自分の記憶に基づく物しか再現出来ないとは思うんですが、あまりに没頭しすぎると少なからず五感が影響を受けるようです。
だから池波小説を読むとお腹が空くんですね。
軍鶏鍋食べたい(*´Д`*)
書物に触れるのなら、想像力をフル稼働して脳に咀嚼させること。
その時の「誰か」の心情を知ろうと視線を重ね、同調し、その感情に揺すぶられた時に感じる「もの」こそ、大切な糧となるもの。
時折、情景が眼前を霞め、おぞましい景色に身震いすることがあっても、それを振り払う必要なない。
とまあ昨夜、ちょっとした話をしていたYさんへ伝えたい言葉なのですが、煩悶することは何一つ無駄ではないと言いたかったのでした。
本と向き合う時、外界の全てが見えなくなってもいいんです。
むしろその方が好ましい。
なんてね。
話が色々すっ飛びましたが、今回届いたアエネーイスも、新古書の様な美品でした。
アリガトウ古書店様(*´ω`*)